etymology 3


town 「町」は hill 「丘」


town というと「ニュータウン」とか「ベッドタウン」のように大きな街を考えるかもしれないが、英語の town はどちらかというと田舎の hill 「丘」みたいなところである。語源的には die 「死ぬ」と親戚関係にあり、もともとは「一周してもとに戻る」という意味である。つまり「円で囲まれた区域」というのが原義である。ヨーロッパの街はやはり敵から襲われないように小高い丘の上に建てられた街なのでこの town が使われる。dune 「砂丘」と同根なのである。テニスで有名な Wimbledon も「錐の丘」という意味でなにか石を削るのに使われた丘なのでしょう。英語の down には「下へ」という意味のほかに「丘」という意味があります。highland という意味なのですが highland は下のほうから見た「小高い場所」なのですが down は上の方から下を見た場合の「下っていく場所」という意味なのでしょう。これが Wimbledon -don となったのです。フランスにも Lyon とか Verdon とか Wimbledon -don に匹敵する town という意味の地名がたくさんあります。すべて「ルングの丘」とか「丘の男」とか「砦の男」という意味です。 town つまり an area that comes full circle はやはり die 「死ぬ」と親戚関係にありますから funeral 「葬式」の fun- も同じ town とか dune という意味で丘を意味したのではないでしょうか。日本の古墳のように丘に葬るという意味から funeral になったのではないでしょうか。ゲルマン語系では d とか t で表される語もラテン語系では f になるのだと思います。



egg 「玉子」は aviary 「鳥かご」


egg というと誰でも「玉子」を思い浮かべるであろう。そして「玉子」というと bird 「鳥」である。魚や爬虫類の「卵」を思い浮かべる人はいないだろう。実は egg も「鳥」も同じ意味であった。楕円形の oval は「玉子の形」という意味である。当然、「鳥の卵の形」である。魚や両生類の roe 「卵」とは異なるのである。 egg は普通は鶏の卵であろうが、語源的には egg は「鳥」という意味である。人間などの卵つまり卵子を ovum という。ovum v がゲルマン語系では g になったのである。鳥に関する形容詞に aviary 「鳥かご」がある。 avi-つまり「玉子」つまり「鳥」の場所を表す接尾辞 -ary がついて aviary 「鳥かご」となった。鳥と玉子は同じ語根であったのである。ロマンス語系が v でゲルマン語系が g になっているのである。当然、鳥が飛行するのを aviation という。鳥だけでなく空を飛ぶ飛行機などの飛行も aviation である。v u になる auspicious 「幸先のよい」も au 「鳥」の飛行を見てよいことが起こるかどうかを spec 「見て」決めたことである。そのようなことが「たくさん」= -ous あれば、非常に lucky fortunate なことが起こるということになる。そのような占いを行う専門の人が augur 「卜占官」となる。最近の英語では鳥というと bird であるが、もともと bird は「ひな鳥」という意味で adult bird ではなかった。fowl とか別の語が鳥を表すのに使われていた。ま、egg と 鳥はなかなか似つかないが、鳥の卵が玉子になったので、もとは「鳥」という意味だったのである。



接頭辞 be- の話し


接頭辞 be- は前置詞について強調をしたりするのに使われる。

(1)

a.  before, behind, beside, beneath beyond, between, benorth, besouth; behalf, behest, behoof, because

動詞に be- がつくと about の意味なので

(2)

a.  belie, begird, bedeck, bescatter,  bestrew, etc. となる。

あまり意味のない be- で単純に他動詞になる場合もある。

(3)

a.  betrap, befriend, become, begin, behold, beget, befall, bename, behave, becall, befit, bequeath, believe, betray, betroth, etc.

さらに

(4)

a.  bemoan, beshine, beclip, beride, betell, bedip, beweep, begnaw, besmear, beclap, bewrap, besprinkle, becharm, besiege, beweail, bedaub, bepaint, bedash, belabor, bemock, bestick, etc.

be-around about から all around という意味に変化して、それから completely というような単なる強調を表す場合もある。

(5)

a.  bewail, bebleed, beblot, beslobber, besoil, berate, bestir, bedeck, bespout, beslaver, bedazzle, belam, bebless, bewilder, bestick, bestrew, bescratch, bescrawl, bescrible, besplash, bespot, bespeckle, besputter, bespatter, besmirch, bespurt, bespurtle, besquirt, bespawl, etc.

単なる intensifier から overdoing という意味に変化する。

(6)

a.  bedrabble, bepaint, beblister, bedabble, beclaw, bedizen, beback, bereave, bedeal, benim, bebar, bestow, belimb, beland, etc.



proper 「固有」は private 「私」


proper noun proper motion は「固有名詞」とか「固有運動」と「固有」というが、 proper subset proper fraction は「真部分集合」や「真分数」と「真」で表す。同じ proper なのになにか変だなと思っている。「太郎」という proper name は「学生」とか「背の高い少年」というある一局面や特徴を表しているのではなく、「太郎」という固有の真の姿を表しているのであるのだから「固有」も「真」も同じかと納得させてきた。ところでこの「固有」とか「真」という proper public 「公共」の対概念である。 proper pro-for per private という意味で厳密には deprived of the public が原義である。「公共」から切り離された「個」という意味である。だから proper subset 「真部分集合」というのも公共である set から完全に切り離された集合という意味なのである。われわれの認識はつねに全体と部分、つまり public private の二項対立の世界から成り立っているのである。



glomus の謎


爪の下の方にできる腫瘍をいう glomus tumor という。 glomus は単数形であるが、複数形になると予想を裏切り glomera となる。glomus はロマンス語系であるから focus stimulus と同じく複数形になると glomi となるはずなのであるが、予想に反して glomera となるのである。-a で複数形にするのはロマンス語やギリシャ語の中性名詞のはずなのであるが criterion datum のように -on とか -um で終わっているわけでもないのでどうも解せない。 glomus に小辞詞の-ulus をつけた腎臓の濾過する毛細血管の塊を glomerulusというが、この複数形は予測通り glomeruli -i で終わる。 glomus だけが glomera となるのである。どうしても解せない単語の一つである。



consternation 「驚き」と sternum 「胸骨」


What is a common denominator of sternum and consternation?  They both mean "stretched out."  Sternum is a breastbone, a bone stretched out in the chest and consternation is a condition in which a person lays himself or herself down stretched out because of fear or surprise.  Both of the words have something to do with "cholesterol," a sterol type; sterol or steroid etymologically means "stretched out."  If something stretched out, it becomes rigid or stiff.  So sternum, consternation, and cholesterol are all sisters in meaning.



quadrilateral 「四角形」の謎


語の多角形の表現でどうしても納得のいかないのが quadrilateral 「四角形」である。一般に四角形は quadrilateral と角ではなく lateral と辺で表現する。確かに tetragon と角で表現する方法もあるがアメリカ英語ではあまり使われない。四角形だけがギリシャ語系ではなくラテン語系で表現するのである。幾何学はやはりユークリッド原論から始まったからギリシャ語で表現するのが一般的なのに四角形だけは四角形ではなく四辺形といい、しかもラテン語で表すのである。何か理由があるのであろうか。確かに quadrilateral にはいろいろな種類があり、square から rhombus さらには rectangle parallelogram trapezoid さらにアメリカでは trapezium とあるので何か特殊な扱いをされている。何かキリスト教的な意味があるのであろうか?わからない。


apostasy 「背教」の謎


キリスト教文化の世界ではいままでの principles religion organization から go back on するのは apostasy 「背教」と言ってキリスト教から変わることが中心的な概念となっている。キリスト教からイスラム教に変わった人が renegade renege ともいう。またキリスト教からユダヤ教に変わる人が proselyte である。基本、stand apart とか turn over という語が「背教」となる。このような人を日本語では「変節者」という。日本語は宗教を変えるというよりは、自然神中心なので「季節が変わる」というところから自分の信念や宗教を変えるという意味で「変節」という言葉を使う。文化の違いであろう。一方、信心深い人を英語では faithful という。apostasy と同じ語源を使って staunch supporter などと staunch という形容詞も使うが、これは stanch 「血止めする」と同根で stand という意味である。


confiscate 「没収する」の親戚


confiscate 「没収する」とは強制的に public treasuryつまり国や自治体の金庫に入れることである。 confiscate の後半部分は fiscal year 「財政年度」の fiscal と同根で basket 「籠」という意味であろう。 basket 「籠」に国家のお金を貯めていたので basket 「籠」が「金庫」になり、それが「国庫」という意味になった。多分、もとは basket 「籠」を作る原材料の rush 「イグサ」という意味だったのではないだろうか。 rush 「イグサ」はパスカルの有名な A human is a thinking reed. reed と同じ語源なのではないだろうか。とにかくかつて rush 「イグサ」でできた籠は金庫の役割を果たし、その中に完全に入れるという意味が confiscate 「没収する」で authority を使い強制的に take over することである。このように力で private property を奪い取る表現は非常にたくさんある。典型が appropriate 「専有する」とか「盗用する」である。 arrogate 「横領する」ことである。attach 「逮捕する」とか「差し押さえる」も力で stake 「杭」を打って所有権や使用権を奪うことである。stake 「杭」とは異なり pen 「囲い」のような pound 「囲い」に犬や駐車違反の車を hold in custody するのが impound 「押収する」である。軍隊などが必要な supplies を力で得ようとするのが commandeer 「徴集する」である。enlist させて人をも兵士にすることが可能なのである。一方、借金の返済ができなくその支払いの保証として力で奪うのが sequester 「差し押さえる」とか「没収する」である。また国家などが公共という名目で個人の property を奪うのが expropriate 「公用徴集する」である。アメリカもこの expropriate の名目でインディアンからすべてを奪い取ったのである。人間の歴史は力で奪い取る歴史なのである。ああ、税金払いたくない。


光と闇


光がない状態が闇であるが、英語の闇と日本語の闇では少々ニュアンスが異なるような気がする。両方とも口を閉じることから mystery とか「闇」という言葉がでてくるが日本語は「闇取引」のように legitimacy がないというニュアンスが多い。英語は単純に in the dark で「見えない」から「理解できない」という認識に関する語へと発展する。だから光を当てると「理解できる」ようになるのである。 elucidate 「説明する」とは make clear とか make lucid にして闇から出来事や概念を光の世界に引き出すことなのである。これを shed light on 「光を当てて説明する」という。そのようにして「理解する」と人は賢くなるので enlighten 「啓蒙する」になる。enlighten とは単純に光を当てることなのである。反対に光を奪うのが obfuscate 「困惑させる」で fume 「煙」で見えなくしてしまうことである。 mystify 「煙にまく」ともいう。darken 「暗くする」も両唇音の mystery myopic と同じく conceal するという意味でやはり「分かりにくくする」ことである。英語の dark にも日本語と同じような「闇」のニュアンスがあり dark business などと「怪しいビジネス」を意味することもあるが第一義はやはり「理解できない」という意味である。


cenozoic 「新生代の」とは


cenozoic 「新生代の」とは ceno- 「新しい」 zoic 「動物」が出現した時代のという意味で、接頭辞の ceno- は「新」とか「最近」という意味である。接頭辞以外にも接尾辞や語根として recent 「最近の」の語根に現れる。eocene 「始新世」とは eo-「原始」の cene 「新世代」という意味である。eocene the Tertiary 「第三紀」の paleocene 「暁新世代」の次に古い epoch のことである。 ceno 「新」はこのように地質学用語に頻繁に出てくる。caenophyte 「新植物」の時代となると白亜紀後半がから現代の植物を表す時代である。caenopithecus というと日本語の訳などみたことがないが推測するに cenozoic era mesopithecus 「ミソピテカス」のような猿人の化石なのであろう。地質学以外にも cenogenesis 「新形発生」とは反復発生とは異なりいままでにない形質が現れることである。この「新しい」を意味する語根の ceno はどことなくラテン語やギリシャ語の nov とか neo- とどことなく似ていて起源は同じような気がしてくるのはわたしだけなのでしょうか。


ochlocracy 「暴民政治」と democracy 「民主政治」


ochlocracy 「暴民政治」とは人々をある場所に送り込んで群集心理を操りdemagogue「扇動政治家」が群集を操作する政治のことである。 aristocracy 「貴族政治」の否定的な反対語で、肯定的な反対の democracy 「民主政治」の否定的な局面を表す語である。最近の政治ならば populism 「ポピュリズム」となるであろう。 ochlocracy ochlophobia 「群集恐怖症」と同根でもともとは vehicle 「乗り物」と同じく「運ぶ」という意味です。 ochlocracy とはある場所に「運び込められた群衆」による「政治」という意味で、群集心理がはたらき inveigh 「激しく抗議する」ことが特徴の集団という意味になります。ある場所に運び込められると、人々は正常心を失い、ののしり罵倒するようになるようです。 invective 「非難」とか「罵倒」という意味のこの語も carry in というのが原義で、どこか狭い場所に人々が運び込められ正常心を失い、罵倒するだけになってしまうみたいです。どうも vehicle carry vehement 「激烈な」とか「激しい」というように carry one's mind away されてしまうみたいです。人間はある場所に運び込まれると簡単に demagogue 「扇動者」の harangue 「長広舌」に move されて暴徒化してしまうみたいです。tirade diatribe には気をつけたいものです。


chest breast 「胸」の話し


胸を表す表現には基本的に chest 「男性の胸」と breast 「女性の胸」の2つに分かれます。chest とは「胸郭」のことでもともとは box 「箱」という意味でした。cyst 「嚢胞」と同根で中になにかを保っている空間という意味です。一方、 breast は箱ではなく「前胸部」という意味で amazon 「アマゾン」や mastodon 「マストドン」のように mamma 「乳房」という意味からきたのでしょう。 breast 「前胸部」と同根の胸を表すのが bosom 「胸」や bust 「胸像」でしょう。bosom 「胸」は首からお腹の間という意味なので、そのような意味で胸を表すのが thorax です。 thorax trunk 「幹」と同根ですから bosom と同じ意味であると分かりますが、どちらかというと chest の方なので男性の胸なのかもしれません。一般には thorax は「胸郭」といい、空間を表します。一方、 thorax の「前胸部」つまり女性の breast の男性版が sternum でもともとは stratum 「層」とか strew 「まき散らす」と同じ語根からできて spread された表面を表していました。 stethoscope 「聴診器」はその spread された表面に当てて心臓や肺の音を聞く道具です。一方、 sternum は表面ではなく骨の方で「胸骨」という意味に変わってしまいました。一方、chest の毛の chest hair から羊の毛という意味に変わり、それが私有財産というお金に変わった単語が pectoral 「胸の」です。魚などの fin pectoral fin というと「胸鰭」となります。pectoral pecto fee 「料金」と同根で私有財産を表します。expectorate となると「胸から吐き出す」という「喀痰する」という意味になります。


arrogant 「横柄な」とは


「驕る平家は久しからず」ということわざにあるように「驕る」とは一般的には too proud つまり arrogant なことを言うのであるが、日本語の「驕る」は馬のような高い場所から物事や他人を見るという意味である。旁の「喬」は「高い」と「夭」とが合わさった漢字で「若くて」「高い」という意味である。だから「驕る」は arrogant 以外の英語の high を意味する haughty とぴったりの語である。中国語でも英語でも「驕る」人は高い上から目線で人を見下すことなのである。


恫喝の話し


恫喝や胴体の同はもともとは穴を突き通すという意味だったみたいである。同とは2枚の plank に口つまり穴を開けて同じ copy を作るという意味で同じという意味になった。胴体の胴は体の trunk を空洞が通っているということだし、恫喝の恫は相手の心に突き刺すようなことを言うということである。恫喝は英語では intimidate bulldoze ということであるが一般的には恫喝の恫と同じく threaten と言う。 threaten thrust と同根で突き通すという意味であるから、恫喝も英語の threaten も同じ意味から来たことになる。これは偶然かそれとも必然かよくわからないが、漢字も英語も同じようなものがあまりにも多い。


unctuous 「おべっか」はどこでも


おべっかを使うとか追従的なことを表す英語はいろいろなものから発達している。まずは oily のオイル。オイルは表面がざらざらしたものに apply することで「すべすべ」にするところから unpleasantly ingratiating という意味になった。 oil l t に変わってもオイルを表す。この代表が unctuous である。 unctuous はオロナイン軟膏の成分説明にあるように ointment と同じ語源でもともと oil という意味である。だから unctuous というと oily と同じく unpleasantly ingratiating という意味である。石鹸の soap はポルトガル語から借用したシャボンと同じである。soap はもともとは sieve とふるいにかけるという意味であるが、多分、動物の脂肪を sieve してできたものという意味でやはり oil と同じ意味である。だから soapy unpleasantly ingratiating という意味になるのである。また oil と同じ語源の oleaginous distastefully complimentary という意味になる。oil はザラザラな表面を flat smooth にするので同じように表面を滑らかにする slick oily な人を表す。toad からできた toady も追従的という意味である。 toady というと日本ではガマの油売りを浮かぶのであるが西洋でもそうかどうかはわからない。 toady とは毒を持っていると信じられていた toad を食べる大道薬売りのアシスタントのことを表すみたいであるが、どことなく油と関係するような気がする。


ギザギザの表面を平にする代表が flatter である。デコボコを flat にすることであるから flatter unpleasantly ingratiate という意味になる。また物理的にギザギザなものというより抽象的なピリピリする辛辣なものを mild にいうことでも同じような意味の語を発生させる。 blandishment とは何かを相手にさせる目的でよく言うことである。 blandishment bland mild と同根である。


このような人は compliment too much なくらいに入っているので fulsome も同じように flattering to an excessive degree となる。このような追従的な人はいつも big shot のお尻にくっつきついて回るので follow を意味する seque を使って obsequious ともいう。この動詞が adulate である。動詞よりも名詞としての adulation の方が一般的であるが、語源的には wag one's tail という意味だったみたいである。つまり追従的というのは犬が主人にジャレまとわりつくことから生まれた表現みたいである。adulation はラテン語からであろうからどこにも tail という語がない(多分ラテン語の「尾」は caudaであろうから)が、もしかしたら英語の tail adulate ulate の中に隠れているのかもしれない。犬はとにかく追従するという意味に発展する。犬が主人をみつけてじゃれ喜ぶのを fawn といい、これも媚びるという意味であるし、犬かどうかわからないが bootlicking もブーツをなめて媚びるという意味になる(犬がなめるかどうかはわからないが)。


歴史的な出来事から生まれた追従的なという意味が sycophant blarney である。 sycophant fig という意味でギリシャ時代イチジクの輸出が禁じられていた時代、それを密輸する人を役人に伝える人達を表し、指でイチジクのような形をつくり軽蔑したところから追従者という意味になったみたいである。一方、 blarney はアイルランドのブラーニー城の石にキスをするとおべっかのできる流暢な話し方ができるという伝説からこれも追従的なという意味に発展したみたいである。 最後に apple polish はリンゴを磨いて先生にあげ、先生の御機嫌を取ることから追従的なという意味に発展しました。





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